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富姫(ふうひめ、元和7年1月2日(1621年2月23日) - 寛文2年8月22日(1662年10月4日))は、江戸時代初期の女性。八条宮智忠親王の妃。加賀藩主・前田利常の四女。母は珠姫。富子、昌子。 == 生涯 == 元和7年(1621年)、金沢城にて生まれる。母の珠姫は、翌元和8年7月死去した。 寛永19年(1642年)、9月27日、22歳で八条宮智忠親王(当時24歳)に輿入れする。叔母である東福門院の養女となっての縁組であった。智忠親王は11歳で当主となり、以後十数年御殿(桂離宮)は荒れていたが、富姫の輿入れに伴う前田家からの援助により、御殿の修繕と増築が行われた。富姫は諱を昌子とした。智忠親王との間に子女は生まれず、結婚12年目の承応3年(1654年)、後水尾院の皇子・穏仁親王が猶子となった。 寛文2年(1662年)智忠親王が病に倒れ、7月1日死去した。しかし、富姫は葬儀にも出られず病に伏していた。夫の後を追うように、8月22日死去。享年42。遺言により遺体は前田家に戻されることになり、墓所は野田山前田家墓所にある。また名も富子とした。院号は真照院。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「富姫 (前田利常女)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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